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おかげさま

 投稿者:三郎次メール  投稿日:2007年10月15日(月)21時58分30秒
返信・引用 編集済
  10.23地震からの復旧に支援を下さいました
全国の皆様への感謝で



http://uonuma.sub.jp/to.kawaguchi.07-10-2

 
 

コシヒカリ、健やかです

 投稿者:三郎次メール  投稿日:2007年 6月17日(日)17時17分47秒
返信・引用
  健やかに伸びています。
田んぼの管理は、溝切りの時期になりました。
これからの水管理の便を計って、健康な稲育てに必須の作業です。



庭先の栗の木、今年は花がたくさん咲きました。
昨年は駄目だったのですが、・・・・・。
そういえば、コブシの花も昨年は駄目で、この春にはよく咲いていました。
 

横浜赤レンガに出展しました。

 投稿者:三郎次メール  投稿日:2007年 6月14日(木)17時15分58秒
返信・引用 編集済
  横浜赤レンガに出展しました。

http://sab9613.noblog.net/blog/a/10355606.html

 

田んぼの土の養分・・宿題に間に合うかな?

 投稿者:三郎次メール  投稿日:2007年 5月11日(金)21時16分49秒
返信・引用 編集済
  > 掲示板の投稿「 ありがとうございます。 」 に関する連絡です。

メールのエラーとは残念でした
私方のシステム不調でしょうか、宿題の日に間に合わないようですみません。
とりあえず、再送します。

田んぼの土のことは、私もいつも考えていることなのですが、
なかなか難しいことです。
この説明で分かっていただいて、宿題に間に合うでしょうか?。

田んぼで稲を育てるには、いろいろな栄養分が必要です。
普通は、チッソとリン酸とカリが大切と言われていますが、
そのほかにも、いろいろな栄養分が必要です。

稲がこれらの栄養分を吸収する(食べる)には、
土に栄養分があるだけでなく、微生物の働きにも助けられて
吸収がスムースにできることが大切とされています。

土をつくることで大切なことは、その土で微生物が
活発な働きができるように工夫することです。
堆肥の役目は、その微生物が生きやすい環境を、田んぼに作ることです。
微生物が増えて、活発にはたらくことで、稲の養分吸収がスムースに
なります。
(稲は養分をたくさん吸収すれば良い、と云うことだけでなく、
  生育にあわせて、必要なとき、適量だけ吸収させるようにと
   工夫することが大切で、そこが難しいところです。)

栄養分のことだけなら、化学肥料を田んぼに入れるだけで、
必要な養分( チッソ、リン酸、カリ )などの多い土にすることは
できますが、大事な微生物のことは、化学肥料だけではうまくゆきません。

微生物が元気になるような田んぼの環境つくりに必要なのが、
堆肥などの有機物と云われている材料です。
家畜のフンや尿も、その大切な有機物ですが、それだけなら
化学肥料にも近い性質で、田んぼの土をよくする力は強くはありません。

野山で刈った草とか、稲のワラ(稲の茎)などに、
家畜のフン尿などを混ぜて積み込んだものを私たちは堆肥といって、
土つくりに大切なものと考えてきました。

ところが、現代の生活では、この堆肥つくりはとても苦労のいる仕事です。
それで、稲を刈り取ったあとのワラを、田んぼに残したり、
家畜のフン尿とか(鶏ふんとか豚ぷん)米ヌカなどを田んぼにまいてたがやすと、
これも田んぼに生きている微生物の働きで、これらの有機物が、
堆肥とおなじような働きをするようになります。

私が田んぼの経験で分かったことは、稲は自分の働きで、育つ環境、
つまり田んぼを良くすることができる力をもっていることです。
新しい田んぼの一年目より二年目、さらに三年目となると
稲の育ちは良くなって、お米もおいしくなります。
これも田んぼの微生物との協力(応援)があってのことと思っています。

そのほか、おいしい米をたくさん収穫するには、田んぼの性質に
いろいろな工夫が必要なのですが、宿題までには間に合わせるには、
お話が長くなるので、また機会があったら、お知らせします。

私は先生でないので、うまく説明できないでごめんなさい。
また私の掲示板に、なにか書き込んでください。

                 新潟県北魚沼郡川口町 三郎次
 

ありがとうございます。

 投稿者:pigeoメール  投稿日:2007年 5月11日(金)06時50分16秒
返信・引用
  ありがとうございました。
難しいんですね。
おいしいお米を作ってください!!

 Pigeo

追伸:母です。ありがとうございました。
メールをいただいたのですが、エラーになってしまっており、
あらためてお知らせするadd.へ再度送信いただければ幸いです。
お手数かけます。
 

田んぼの土の養分について

 投稿者:三郎次  投稿日:2007年 5月10日(木)19時03分46秒
返信・引用
  私のページに寄っていただき、ありがとうございます。
田んぼの土のことは、私もいつも考えていることなのですが、
かんたんに答えることのできない難しいことで、
明日までの宿題には、うまく説明できるのかな?。

メールでお話します。

そのほか、おいしい米をたくさん収穫するには、田んぼの性質に
いろいろな工夫が必要なのですが、明日の宿題までには、お話が長くなるので
また機会があったら、お知らせします。
 

教えて下さい!

 投稿者:pigeoメール  投稿日:2007年 5月10日(木)06時51分35秒
返信・引用
  ぼくは横浜の小学校5年生です。いま、南魚沼市の米作りについて勉強しています。
明日までに、魚沼の田んぼの土について調べる宿題があります。
「丈夫な苗と、栄養のある土をしっかり作っておくことが大切、
家畜のフンや尿で堆肥を作る」と調べたのですが、この栄養分のある土について、その
土質と作り方を詳しく知りたいと思いました。教えていただけますか?
 

コシヒカリの苗は

 投稿者:三郎次  投稿日:2007年 5月 1日(火)23時09分41秒
返信・引用
  荒っぽい陽気、とムラの衆は言葉を交わしていますが、ハウスの苗は順調のようです。  

三郎次のブログにないもの

 投稿者:三郎次  投稿日:2007年 5月 1日(火)22時19分12秒
返信・引用
  2月下旬、川口町に隣接する魚沼市の方のブログに、
http://relog.jp/yukiguni/entry_29410.html
興味ある記事に出会ってから、あらためて魚沼とその風土に気持ちが向いています。
私のブログの書き込みも、魚野川上流に隣接する宇賀地郷に目が向いています。
その隣接地とのかかわりで、自分のムラを見ることも面白いかなと感じはじめています。

そんなことで、季節の情報などのタイムリーな書込みをと思いながら、
全く触れずじまいです。スベルベさんのブログを覗いて下さい。
季節感にあふれています。
http://relog.jp/yukiguni/index.html
 

安吾と、私の母の追憶で

 投稿者:三郎次  投稿日:2006年11月 4日(土)00時36分9秒
返信・引用 編集済
  Nさん  さま、書き込んでいただいたのですね。
いつも ひと気のない掲示板なので、つい管理をおこたって、とんだ失礼をいたしました。
ハワイで、マグニチュード6.7とは エライ体験をなさったわけですね。

帰省された折の、川口はいかがでしたか。震災後の呆然とした雰囲気、やがて慌しい雰囲気、
そして表面的には、少しづつ普段の日が帰って来ているようにみえながら、戻りきれない日々を感じて
寂しさが募っています。

坂口安吾のことは生誕100年とかで、地元紙にも少し記事がありました。
安吾の小説も、日報に掲載されました。初めは「堕落論」で、今は「桜の森の満開の下」が掲載されています。
私は少年の時から小説は読んでいませんでした。ましてや文学作品とは縁遠く生きてしまったのです。
もう悔いてもはじまらないのですが。

安吾の作品にもほとんど触れていません。
「堕落論」は戦後の世相評論のように感じましたが、この中に安吾の姪のことが出てくる。
安吾には、松之山であれ 中山であれ、姉に対する思慕の思いは深かったようで、その延長に
姪にたいする気持ちをもっていたようです。しばしば遊んだ松之山には、喜久子さまという姪がいて、
中山にはほぼ同じくらいか少し年下で、光子さまという方がいました。
どちらも、安吾の作品に登場するのですが、どうしても松之山の喜久子さまのほうに良い雰囲気があって、
光子さまには少し分がわるかったようです。
光子さまは、少女のころから病弱となり、安吾が中山に立ち寄るころには、部屋にこもっていることが
多かったようです。暗い印象でかかれながらも、安吾のやさしさは読みとれます。それでも、
私の母はそれが悔しかったようで、「安吾は嘘を書いている」となじっていました。

その光子さまが、上京している安吾の手引きか何かで、東京で病気の治療を受けるとき、伴をして行ったのが、
私の母です。たしか母は安吾より三つほど年下であったか思います。

 最初に書き込んだことに、勘違いがあったので、以下は訂正しました。

母の死後、安吾の本が出てきました。光子さまのことを書いたところを、繰り返し読んでいたようです。
病弱でのまま亡くなられた光子さまはとても優しい、良い方だったと母の弁で、
安吾はそれを分かっていないのだと、母の言い分でした。

母の語りを引きついで、安吾の文字が眼に触れると、安吾の姪で、薄幸だった光子さまのことが念頭に浮かんで、
つい長々しく書き込んでしまいました。

中山では、安吾は与太者のレッテルを貼られていましたが、姉は優しく見守っていたようです。
 

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