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『闇の中に光を見いだす』

 投稿者:キレにキレてる小春日和  投稿日:2010年 4月 6日(火)19時28分6秒
返信・引用
  おひさしぶりです。

Nさん集会ご苦労様です。
一緒に熊本行けず残念です。
次回は是非いきましょう!


移動研究会のほうは本当に充実しておりました。
モリだくさんの内容でしたが、
特に、現場で頑張っている「会」の先輩であるRさんの姿に勇気をもらいました。
話、しかと心に受けとりましたぞ!

「会」も負けじとシンポを7月下旬に設定して『思想史研究』第七号に向けて
本格的に?動き出しました。
今年度もよろしくお願いいたします。切磋琢磨して「成長」していきましょう!


お勧めしてもらった
『闇の中に光を見いだす』
いいホンでした。

湯浅 「私は最近、半分諦めも入っていますが、カネの話をするしかないと思っています」


人を増やしたり、考えていることを伝えるために僕たちも色んな方法を考えねば。。。
もちろん自己変革は同時です。


やはり実践をしなければならない。

否!

研究自体が実践なのだ。

否!

そういうことによってなにもしない自分を肯定しているだけだ。

否!

やるにしてももっと勉強せねば。


……、



どっちもやる!
頑張るのである!



パルス!
パルス!!
パルス!!!


PS、近日中に掲示板を移転しようと考えています。
 
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2010年 3月28日(日)19時06分55秒
返信・引用
  こんにちは。熊本におられるみなさん、お疲れ様です。私用で一緒に行かれず、ほんとに残念です。昨日の見送りのときもすごく切なかったですT_T

また熊本の移動学習会?については報告楽しみにしていますので、よろしくお願いしますねパーキラキラ



そういう訳で、京都に一人でいてもさびしいので、今日は円山公園に行ってきました。3月も末で桜が咲いていて、おいしそうな出店なんかもいっぱい出ててお花見日和で…


と、ここまでは桜見に来た人みたいなんですけど、今日はかねてから企画されていた、とある集会に参加しました(なんかわかりますか?汗)

ア●ェンダの人たちと音楽堂で合流して飴をなめながら話を聞いたり、おしゃべりしたりして

その後は、天気があまりよろしくなかったのですが、10・18と同様のコースをみんなで歩きました。

今回は参加者が前より多かっただけでなく、

おまわりさんも、ものすごいたくさん配置されていて(大阪のカウンターのときよりも!)

その上、聞いてなかったざい●く会の人とも鉢合わせしたりして

一緒にいた女の子と怖いねーって言いながら歩いてました。


それでとりあえず解散して(まだおおぜい残ってたんですけど)、今無事に下宿です。そういえば、解散した場所でおかさんもいました。みなさんお疲れ様です。次は5月30日に大阪であるみたいですね。



さて、もう春休みが終わりつつありまして、

春休み中は数人で丸山真男を読んだりしていたのですが

目下目標中の「レベルアップ」ができたのかと言われれば、正直あまり自信がなく…


でも、これからもがんばろうと思うようになってきたので


春からもみなさんよろしくお願いします!

といったところでパーキラキラ
 

報恩感謝

 投稿者:金見メール  投稿日:2010年 3月 5日(金)06時06分37秒
返信・引用
  あえて似つかわしくないタイトルですが、今の俺の心境です。
研究室にいようと寺で働いてようと、先行研究者に、史料に、状況に、会の仲間に問われてる、「お前は本気なんか。本気出してそんだけか。」と。
そう気づかせてもらいました。
しんどいのは前提、その中で何を成してくか。
何を壊し、何をつくってくか。
心が折れんかったら、けっこうまだいける気がします。
そして心折れずにいるかいないかも結局のところ自分次第なんかな、とも。
良かったです、院に進んで、みんなと一緒に勉強できて。
ありがとうございました!
 

この「新自由主義」な世界で‥‥

 投稿者:ペンギン村名誉村長  投稿日:2010年 2月22日(月)21時38分35秒
返信・引用
  ペンギン村。今日も晴れ。
夜のとばりが下りる頃には、今日もそのネオンは真っ赤に輝いているはずであった。
嗚呼、ペン民広場。
そのネオンが、いま、消えた。いや、消されたのだ。
しかし、その地下からは、
「ヴ=ペニョード!」
と熱く語りあっている青年たちの果てしなき議論がこだまする。
忘れるな!そして、伝えよ!
ペン民広場の、その、カオスを!

お知らせ一件。
次のようなシンポジウムがあります。
事件は私たちの足元で起こっている。
龍谷大学の脇田滋教授の講演は必聴。

★なんで有期雇用なん!?
★大学非正規労働者の雇い止めを許さない関西緊急集会
 ~教育を支える仕事をしている人たちが、「○年でくび」でいいの!?~」
2010年2月27日(土) 13:00~16:00 @エル・おおさか7階708会議室

http://nandenan0227.blogspot.com/
 

最後の晩餐

 投稿者:ボンヘッヒャー( ̄□ ̄;)!  投稿日:2010年 2月 1日(月)07時52分20秒
返信・引用
  まず最初に、このような悲惨な状況に直面しながらも、迅速な対応をしてくれたK藤氏にはお礼を言わねばならない。さぞ勇気のいる投稿だったことでしょう。その涙、決して無駄にはしない。ありがとう。


「飲食界最後のアナーキー」。資本社会に対するその「逆説的反抗」ともとれる“そこ”の内実は氏によって述べられた通りである。


最後に“そこ”をおとずれたのは昨年12月24日の「〇鸞研究会」のあとだった。


その日も“そこ”はいつもと変わらぬマスター……いや、まてよ……。違う!

いわれてみればあの日は違っていたかもしれない。いや、確実に違っていた。よく思い出してほしい。絶妙な塩加減のヤキソバ。しめの雑炊鍋のケタ違いの大きさ。クリスマス使用になった有線。極め付けは、かつてみたことのない「大トロ使用の鉄火巻」。いやそれだけではない。あの日に限っては、普段そろうはずのない醤油の小皿も人数分用意されていたではないか!思い返せばシグナルはいくつも出ていた…。


まさかあの「大トロ使用の鉄火巻」が、マスターの最後のメッセージだったとは……。


いま思い返せば帰りぎわに

「坊や。今までありがとな…。」

言っていた、かもしれない。



だが、その日は突然訪れた、のではない。


「駅に近い」という理由のもとに繰り返し選択されつづけた「〇鉄」などという粉物屋にうつつを抜かしているあいだにその日は確実に近づいていたのだ。


言い訳はできない。


“そこ”の終末は、非自律的・恭順的な選択を繰り返し続けたわれわれによって、必然的に生み出されたのだ。


われわれは今一度「学問の実践性」を問い返す岐路に立たされたのではないだろうか。
 

あるアジト(JM)について

 投稿者:こんどう  投稿日:2010年 1月30日(土)18時55分14秒
返信・引用
  以下の文はここに書くことが必要なことかどうか悩みました。いまも悩んでいます。
でも、きっとこの後に「投稿」をクリックすると思います。

先日あるお店に夕食を求めて出かけました。ボクがその店に初めて訪れたのはおそらく8年ほど前のことだったと記憶しています。看板に書かれた黒い漢字、いやその字の背景の赤色が非常に印象的で、前を通って見落とすことなど考えられないほどの鮮やかさをその赤は付帯していたのでした。

店は地下にあります。欠けたタイルの階段を注意深く下りた左手には、スナック風のドアが。店内は薄暗く、妙な静けさが場を支配しています。料理を派手に演出するスポットライトや洒落た間接照明で客を驚かすということは、そもそも論外であるかのように。また、流行の音楽がかかるわけでもなく、大勢の客の騒ぐ声が壁を乱反射するわけでもなく、ただひっそりとしている、それだけの店です。

店員は通称「マスター」と「おばちゃん」の2人。寡黙な「マスター」と、おそらくはその店の真のマスターである「おばちゃん」。店員は2人のはずでずが、たまにカウンターの常連が、いや客の数名が状況に応じて、何故か手伝い始めてしまうという、そんな店です。店員だけでやるのではなく、客も店を運営する構成員なのだということは当たり前の話ですが、その店の店員と客とのあいだに引かれた一本の境界線があまりに適当なのです。完璧なサービスとそれを一方的に享受する関係、そうした非対称性が店内を踏破するチェーン店には無い、そしてありえてはならない居心地の良さがそこにはあります。それが本来のサービスの形なのかもしれないとボクたちに示唆しているのは、食後の疲労度の軽々しさでしょう。客の緊張を要求し、食欲を煽り続ける飲食サービス業界への根底的批判、たとえばそれは一部で伝説化した「マグロのユッケ」及び前人未到の「鉄火巻き」といった店を代表するメニューが、あるいは「流れが悪くてゴメンナサイ」と数年間も謝り続ける右側のトイレの張り紙が象徴的に表現しているのかもしれません。
メニューのいずれもが採算を度外視したものであることは間違いないでしょう。知人の一人が注文した氷無し梅酒が、グラス最上部、つまり表面張力との格闘を不可避とする水平線を描き出したことは、その彼を絶賛へと誘ったようです。たとえば、いまや当然の如く自販機を占領するペットボトルでさえも否定の対象に組み込み、決して購入しないと断固決意する彼をして、かくあらしめたのは、その梅酒が他の店の欺瞞的営業を焙り出し続ける戦闘的な水平線であったからにほかなりません。

全商品に貫通する強烈な塩味、それも甘ったるい世間に対するアンチテーゼなのでしょうか。とにかく、ビジネスの常識へと挑戦し続けるその店の、場当たり的な儲けを峻拒する姿勢、時代状況に左右されない主体性、新たな社会構想のアジト的雰囲気、これらの全てがボクらへ連帯を呼びかけ続けるのです。かくしてボクらはリピーターとなりました。

「百聞は一見にしかず」。みんな知ってるセリフです。もしかするとこれを読んだあなたもその店に出かけたくなられたのではないでしょうか。ボクの体の軸はもう、あの五条烏丸へと向いているようです。けれども残念なのはその店の終わりが近づいている、ということ。物事に始まりと終わりがあるというのは何処かで聞いてきたし、実際に数多くの「その時」と立ち会ってきました。そしてその店の「その時」が今月末に訪れます。現実の状況下で、あのスタイルは通用しないのでしょうか。昨年末からギリギリの抵抗を、あの暗い地下を拠点にして継続してきたがゆえの結末なのでしょうか。ともかく圧倒的な構造的劣位のなかでの細々と続けられてきた抵抗者はその重要な拠点の一つを失うのです。

そこにせめてもの救いがあるとすれば、閉店ではなく移転であることでしょうか。新たなアジトは大宮中立売だとか。これが一体何処なのか、どうもピンときません。ピンとこないのは「その時」をまだ信じたくないという、ボクの悪あがきなのかもしれません。それがセンチな感傷なのか、あるいは現実の悲惨さに対する意図的な盲目なのかはわかりませんが、いずれにしても現実は厳しくなるばかりです。

店を移転し、再開したら連絡を下さるようにお願いしました。
 

あけまして悲惨!

 投稿者:よしよしお  投稿日:2010年 1月 7日(木)19時13分54秒
返信・引用 編集済
  こんにちは。

みんさんそれぞれの年末年始を過ごされたかと思いますが、
個人的にはとても有意義な時間を過ごせたと思っています。
少し会っていないだけなのに、みなさんにつぎ会うのが待ち遠しいです。

さて、熱い書き込みが続いていますが、
うじうじおさんの書き込みに大変興奮しております。

そして、現物を手にしたのですが
手にするまでの興奮は吹き飛んで、なんだか感慨深いです。

この一冊の中に
どれだけの絶望と
どれだけの希望が
詰まっているんだろう。

考えていると先生の顔や一言一句が浮かんできて
なんだか胸が詰まりました。

表紙にある大宮舎を先生が書いたかどうかはわからないけれど、
もしそうだとしたら、どんな思いでこれを描いたんだろう。

裏表紙の本館のドアは
―自律から従属―のドアとしてじゃなく
―従属から自律―のドアとして開けたいんだろうな。
いつ先生に扉の向こうを見せてあげられるかな。

とか色々考えてしまいました。

僕は先生の怖さ・厳しさ・優しさに
まだわずかしか触れることができていないけれど
会ったときの先生はいつも真剣で、優しくて、そして本気。
限られた人生のなかでこういう人に出会えたことが
実は凄いことなんだと改めて思います。

そんな先生の「営みに加わって」いくことが「よろこびである」なら
喜ばせてあげられるかはわからないけれど
必死に喰らいついていきたいと思います。


あつくるしい書き込みになったのでこの辺で。
四年間の集大成がんばるぞ。

パカッ♪
 

最高の新着本があります!!

 投稿者:うじうじお  投稿日:2010年 1月 6日(水)18時16分44秒
返信・引用
  福○先生の御著書がついに完成し、藤○先生より合研に届けていただきました。
この掲示板を見ていらっしゃる方(研究会の参加者)には、先生方のご好意により
謹呈として頂けることになっています。
ぜひはやく本を手にして、一ページごとにため息をつきながら、それでもめげることなく
今後の研究のためのエネルギーとしてください。合研の流し台の前の机の上に置いています。いちおう、該当者は名前も書いてありますので、もらった方はチェックしといてください。
もし該当されない方がいらっしゃいましたら、うじおまでご連絡ください。

従属から自律への再転換の一歩となるようにしたいですね。
 

第七号がんばろう

 投稿者:キタバタケ  投稿日:2009年12月24日(木)03時07分2秒
返信・引用 編集済
  ゴッツヨシオさんからの電話中、まだあの熱い書き込みみてないんすか?とのことだったのでみた次第です。どうやら彼は常時この掲示板のとりこのようです。
『仏教思想史研究』第七号、いいものにしなきゃですね。

Aさんの逮捕しかり吉岡さんの敗訴しかり、冗談でもいい時代になったとは言えない―。
いま、この会からも何人か参加している読書会で、フーコーの『監獄の誕生』を読んでいまして、そのなかでは「近代精神と新しい裁判権との相関的な歴史」の系譜をたどるにあたって、司法が国家権力から独立していない時代でのその機能が考察対象の一つとなっています。そこでは、犯罪が「真実」かどうかを確証する際の民衆の役割が問題となっていますが、それは、司法権が独立した後においても、基本的には人々が何を許さないこととしたのかという倫理の問題と不可分なのではないでしょうか。(おそらくフーコーはそこにすべりこむ権力の関係性を問題としたのでしょうが、その辺はまだよく理解出来ていません。)
本の内容と直接関係があるかはわかりませんが、司法権の独立というような制度上の変化が実質的に意味をなすのはどういった場合なのか、あるいはどのような社会を目指すなかでどういった制度があるべきなのかを、やはり国民である以前の問題として考えていかなければならないと思いました。
しかしフーコーは難解です・・・どうしよう。

ところで、僕も10月に行われた広河隆一さんの講演会以降、遅ればせながら『DAYS JAPAN』を定期購読して実家の寺に置いていますが、けっこう見る人いるみたいです。僕たちがどのような社会に生きているのかを知るための絶好の雑誌だと思います。ぜひとも存続してもらいたいです。

本日、今年最後の親鸞研究会ですね!楽しみです。
ちなみに場所は龍大大宮学舎の西203、時間は15時からです。
二葉憲香、もはや古典か?!
 

こんな社会に誰がした。…それは私であった。

 投稿者:ごっつ☆キシモト  投稿日:2009年12月22日(火)23時56分49秒
返信・引用
  みなさんの活躍に敬意を表します。

先日、某研究会が発行している『仏教思想史研究』第六号を入手しました。
モリモリだくさんな内容で、編集された方は大変だったろうと思います。力作です。

その中の「民衆とともにあるということ」という文章を読んでいたく感激しました。
たとえるなら、「血のインクで書いたような文章」といったところでしょうか。
それを書いた人は、この掲示板を作ったRIN☆GO!ちゃん(本名:金見)です。
数年後には、この掲示板につどっているみんなも、バラバラに各地に散らばって、それぞれ現場を持つと思いますが、その現場に振り回されながらも、いつでも「帰ってこれる」勉強の場所、真面目に語れる場所を持ち続けたいですね。

「働くようになってもね、勉強、放棄しなさんなよ」

ところで、広河隆一責任編集の雑誌『DAYS JAPAN』http://www.daysjapan.net/が存続の危機だそうです。定期購読者が500人に達しないと休刊になるというのです(今のところ400人ぐらい)。僕はたまに買うぐらいで、定期購読していませんが、お寺では定期購読をしてほしいと思います。『DAYS JAPAN』を各寺で1冊ずつ定期購読しましょう。

また、「ユニオンぼちぼち」のブログhttp://unionbotiboti.blog26.fc2.com/もご覧下さい。
最高裁で吉岡さんも敗訴。
ひどい。
 

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